So-net無料ブログ作成

建部大社 その弐 日本武尊物語 [ ┗滋賀 欣求の道]

建部大社参道にあった
日本武尊物語
_DSC1122.jpg
武将の挿絵とか書いてる人のイラストだ

クマソタケルvsヤマトタケル(右)
_DSC1094.jpg
爾其熊曾建白言「莫動其刀、僕有白言。」爾暫許、押伏。於是白言「汝命者誰。」爾詔「吾者坐纒向之日代宮、所知大八嶋國、大帶日子淤斯呂和氣天皇之御子、名倭男具那王者也。意禮熊曾建二人、不伏無禮聞看而、取殺意禮詔而遣。」爾其熊曾建白「信、然也。於西方、除吾二人無建強人。然於大倭國、益吾二人而、建男者坐祁理。是以、吾獻御名。自今以後、應稱倭建御子。」是事白訖、卽如熟苽振折而殺也。故、自其時稱御名、謂倭建命。然而還上之時、山神・河神・及穴戸神、皆言向和而參上。
古事記 中巻より
(小碓尊、倭男具那命⇨)ヤマトタケルの誕生の瞬間

焼津での場面
_DSC1095.jpg
左は倭姫命かな
冬十月壬子朔癸丑、日本武尊發路之。戊午、抂道拜伊勢神宮、仍辭于倭姬命曰「今被天皇之命而東征將誅諸叛者、故辭之。」於是、倭姬命取草薙劒、授日本武尊曰「愼之。莫怠也。」是歲、日本武尊初至駿河、其處賊陽從之欺曰「是野也、糜鹿甚多、氣如朝霧、足如茂林。臨而應狩。」日本武尊信其言、入野中而覓獸。賊有殺王之情王謂日本武尊也、放火燒其野。王、知被欺則以燧出火之、向燒而得免。一云、王所佩劒藂雲、自抽之、薙攘王之傍草。因是得免、故號其劒曰草薙也。藂雲、此云茂羅玖毛。王曰「殆被欺。」則悉焚其賊衆而滅之、故號其處曰燒津。


弟橘媛
_DSC1096.jpg
自其入幸、渡走水海之時、其渡神興浪、廻船不得進渡。爾其后・名弟橘比賣命白之「妾、易御子而入海中。御子者、所遣之政遂、應覆奏。」將入海時、以菅疊八重・皮疊八重・絁疊八重、敷于波上而、下坐其上。於是、其暴浪自伏、御船得進。爾其后歌曰、
佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母
故七日之後、其后御櫛、依于海邊。乃取其櫛、作御陵而治置也。


伊吹山にて
_DSC1097.jpg
於是詔「茲山神者、徒手直取。」而、騰其山之時、白猪、逢于山邊、其大如牛。爾爲言擧而詔「是化白猪者、其神之使者。雖今不殺、還時將殺。」而騰坐。於是、零大氷雨打惑倭建命。此化白猪者、非其神之使者、當其神之正身。因言擧、見惑也。故還下坐之、到玉倉部之淸泉、以息坐之時、御心稍寤、故號其淸泉、謂居寤淸泉也。
古事記では白い猪だけど、日本書紀では大蛇。
どちらもヤマトタケルが手下なんかほっておけと無視して進んだことに、伊吹山の神様が怒るという話。

能褒野で力尽きたヤマトタケルは白鳥になってヤマトへ
_DSC1098.jpg
自其地幸、到三重村之時、亦詔之「吾足、如三重勾而甚疲。」故、號其地謂三重。自其幸行而、到能煩野之時、思國以歌曰、
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
又歌曰、
伊能知能 麻多祁牟比登波 多多美許母 幣具理能夜麻能 久麻加志賀波袁 宇受爾佐勢 曾能古 此歌者、思國歌也。又歌曰、
波斯祁夜斯 和岐幣能迦多用 久毛韋多知久母
此者片歌也。此時御病甚急、爾御歌曰、
袁登賣能 登許能辨爾 和賀淤岐斯 都流岐能多知 曾能多知波夜
歌竟卽崩。爾貢上驛使。
足が三重に曲がり歩けなくなったヤマトタケルは「倭は国のまほろば」の歌を詠んで崩御されました。
能褒野に宮内庁認定の御陵があります。過去記事
nice!(55)  コメント(2)  トラックバック(1) 
共通テーマ:旅行

nice! 55

コメント 2

hanamura

「日本武尊物語」建部神社のHPまで行ってしまいました。
by hanamura (2016-05-30 05:55) 

Sazaby

古事記全編やってホスィ
by Sazaby (2016-05-30 20:13) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 1

トラックバックの受付は締め切りました